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平氏滅亡

源平合戦の有名なものは、1184年2月「一ノ谷の合戦」1185年2月の「屋島の戦い」1185年3月「壇ノ浦の戦い」ですが、共通して言えるのは、騎馬戦が得意な源氏がその長所を活かし、水上戦が得意な平氏がその長所を全く活かせなかったことがあります。これらの戦いの功労者源義経は、平氏滅亡後、朝廷の官職になり武家政権には入らなかった。これで頼朝の怒りを買い追われる身になります。

源平合戦と後白河法皇

源平合戦のどさくさに紛れて、清盛に奪われていた権力の座に返り咲こうとしたのが、後白河法皇です。義経が官職に就いたことを利用して、頼朝と義経の分断を狙いますが、失敗に終わってしまいます。

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コメント
このページに対するコメント
バニーまりあ 2012-09-19 14:05
後白河法皇…情けなすぎるだろ…
げんさん 2012-09-19 14:07
モンゴルのチンギスハンが実は源義経だっていうのは本当なのかな?
マサタミ 2012-09-19 14:09
なんで義経は朝廷の官職についたんだろ?
鷲尾 2012-09-19 14:10
頼朝はたかが義経が武家政権に入らなかったくらいでなんで怒ったんだろうか…
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