HOME貴族から武士政権へ > 文永・弘安の役

文永・弘安の役

太平洋戦争中「神風」という言葉が、都合よく使われました。それは「文永・弘安の役」で、元の大群が北九州を襲った時に、2度も都合良く暴風雨で元の船が沈み壊滅状態となり、日本が辛勝したことから来ています。13世紀の偶然を20世紀の戦争に引っ張り出すなんて頭がどうかしていますが、元の兵士の士気は低かったこと、船が急造で手抜きだったことなど、重要な事実を見落としてはいけません。

難しかった外交判断

元は日本に対して不意打ちを食らわせたわけではありません。詔書によって「来朝せよ」という知らせが来たのですが、世界征服を進めていた元に従って良いものかどうか、幕府は苦慮したのです。

名前(任意)
コメント
このページに対するコメント
イムリン 2012-09-19 14:30
もしも元の大群が岸についていたら、確実に日本は負けていただろうね:(;゙゚'ω゚'):
なつこ 2012-09-19 14:33
日本国は勘違いしすぎ。銃も飛行機も全て海外から入ってきた文化なのに、勝てるわけないんだって。
しーはーらー 2012-09-19 14:34
元って世界征服進めてたの?そんなの無理に決まってんじゃん。
コステロ 2012-09-19 14:35
中国は今も昔も立場がわかってないね。
ページTOPへ