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川中島の合戦
上杉謙信と武田信玄は、千曲川と犀川が合流するあたりで(現在の長野県長野市南部)1553年から1564年まで、計5回相まみえています。目的は、上杉氏側が北信濃の領地の奪回を(ただし、謙信の領地ではない)武田氏側が北信濃の攻略と越後進出を目的としました。信玄は海につながる領地を求めたのです。結局、武田信玄は上杉謙信を破れず(信玄が負けたわけではない)日本海進出を諦めます。
人は石垣、人は城
武田信玄は、甲斐の国(山梨県)だけを治めていた頃は、領地内に城を造りませんでした。「人は石垣、人は城」といい、甲斐の国の領地の地形を活かして、領地を守りました。信玄は名将です。
このページに対するコメント
美逗 2012-09-19 14:52
武田信玄が病死しなければ、その後の時代に変化あったんだろうな。
チェダー恐 2012-09-19 14:54
なんでいつも川中島で戦っていたんだろうか。
オニール 2012-09-19 14:55
敵に塩を送ったのって、上杉謙信だっけ?
よしかつ 2012-09-19 14:57
上杉謙信と武田信玄がタイマンしたらどっちが勝つかな?
